先週土曜日と日曜日、二日続きの法事でした。
二日とも仏式の法要でした。仏式では1年3年7年13年17年23年33年50年という奇数のサイクルで法要が行われるらしい。そして、子が親の50年をすることが一番めでたいと聞いた事がある。???ともあれ子が健康で長生きしなければ、家を守っていなければ成し得ない行事である。 事前の準備はなかなか大変で、出欠席の確認、お膳の注文、飲み物は?、粗供養の準備、墓掃除から家の拭き掃除、窓拭き、草取り。当日は朝からその準備にかかりっきりで、来客、お寺さんの接待にかかりっきりとなりちょっとした一大イベントにも匹敵する忙しさである。昔は、これに加えて料理も自宅で女衆が手作りをしていたのだから、主催者の家族は大変な思いをする。年々その煩わしさから解放されようと「簡素化」を謳い特に街場では、お寺に出かけて法要を済ませ料理は料理屋で会食をするスマートな流れに変わりつつある。 だが、田舎はまだ昔のなごりがそのままあって、久々に親戚一同が集い、お寺さんを御願いしてお経を唱えお墓に参り、御膳を囲んで食事をしながら語り合う。昔ながらの光景です。何年来も逢っていない従兄弟や叔父甥が顔を会わせて昔話に花が咲き、近況を語りお互いの健康を喜び合う。裏方をする嫁たちは、台所で他愛もない話に盛り上がる。穏やかな時間が過ぎていきす。自分が50を過ぎて、気付くと周囲の叔父叔母、父母たちは70過ぎの老齢である。そんな現実に改めて気付かされるのもこんな時かもしれない。親類縁者が時には顔を会わせて互いの近況報告をする。そんな機会を用意するために昔の人たちは法要をしていたのだろう。供養とは、料理やお供えの豪華さではなく、家に集い語り合うその時間の豊かさであると改めて思う二日間であった。 最近の間取りは奥の間、下の間が無くなりつつある。通夜や葬儀は葬儀場を使い、普段は勿論14畳もの空間を一度に使うことは無い。そういう部屋は無くなって必要な間取りだけに変わっても、私が今日までに関わらせて頂いた家の屋根の下では、何かしら人が集い交流し合って笑い声がこぼれる。そんな家であって欲しいと、ふと思った。
by nagaikensetsu
| 2009-06-01 20:49
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